奥嵯峨に有ります祇王寺まで行ってまいりました。
京都では、好きな場所のひとつです。
祇王たち親子が、祈りを唱えて暮らしたと言われる庵。
つつましやかながらも、春夏秋冬の佇まいの変化に心を洗っていくような暮らし。
もし自分が祇王だったら、女の怨念を消せず、般若となっていたかも知れない。
ここに来ると、そんな自分を諌めてくれるような気がするのです。
平家物語の一説が、自然と口をついてくるような・・・佇まいに心奪われて・・・
祇王の残したと言われる和歌、
萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草いずれか秋にあわではつべき
自然と口ずさんでしまう雰囲気が漂っている。
時代を象徴とする横暴な権力者に翻弄されてしまった、か弱き女達の生涯に思いを馳せる。
若々しく芽生えたばかりの草も、枯れゆく草も、野辺の草はみな同じでしょう。
秋になると、枯れ果ててしまうもの。人もまた同じです。
いつかは飽きられてしまうでしょう
時代を超えても、男と女の関わりはずっと変わらないのですね。
何処からともなく聞こえてくる竹ぼうきの音・・・
可愛らしいおばあちゃまが、落ち葉を掃いておりました。
お願いして写真を撮らせて頂きましたが、アップするのは止しましょう。
勝手に祇王さんと重ねて、胸の高鳴りを抑えられませんでした。
またここで、お会いしましょう。。。いつまでもお元気で・・・